理系大学院生の機材れびゅー

音楽とギターとガジェットをこよなく愛する理系大学院生のブログです

理系大学院生にとっての就活とはなんだったのか

こんばんは

今日は更新途絶前最後に語ろうとしていた「理系大学院生にとっての就活」について振り返りたいと思います。

就活の結果

結論から言って、あまり満足いく就活はできませんでした。

私はいま、知名度はあるけれど一流というわけではないような企業に就職し、都心から2時間ほどの自然が多い場所にある拠点で研究開発に従事しています。

福利厚生もそこそこだし、決してブラックではないし、給料も悪くはないので、完全に間違った選択だったとは思いません。でも、そうやって自分に言い聞かせることで自尊心を保とうとしているだけのような気もする。 優秀な人がたくさんいる大学に生半可に入ってしまったがために、自分以外の人間は皆、一流企業に入社し、都内の一等地で働き、人生を謳歌しているように見えてしまう。片田舎の研究所に毎日通っている自分と彼らを比べては、なんでこんなことをしているのだろうとモヤモヤすることも多々あります。

こんな感じで未練たらたらなわけですが、同じ失敗をする人が少しでも減るようにと、こんなことになってしまった原因について、今だからわかることを書いていこうと思います。

何が悪かったのか ~大学時代編~

私は就活に至るまでの人生において、徹底的に選択を避けるか、先延ばしにしてきたのです。未来を確定させることは自分の選択肢を狭めることそのものののように思えて大きな選択や決断を避けてきたし、そう言った決断や選択に向けて入念に準備をするといった経験も全く足りていませんでした。

その一つの例が、進学振り分けと呼ばれる専攻分野選択のタイミングでした。学部を決めずに入学する大学において、3年次時点で成績順で進学先を選ぶタイミングが訪れることは入学前からわかっていたことでした。周りは将来を見据えつつ進学先を考え、そこに向けて1年次、2年次と準備をしていたのですが、私は特に何も考えず可もなく不可もないような成績を取ることだけを目標に漫然と日々を過ごしていました。

いざ進学先を決めるタイミングになるまで選択肢についてろくに情報も集めずにいた私は、自分の成績で問題なく入れる学部に「無難に」進学しました。

この話の中から私の思考の典型的な特徴を見て取ることができます。それは、「リサーチをしないまま期日を迎えることによって選択肢を抱えたまま悩む期間を最小化できる」「手遅れになるまで手を打たないことで、必然的に選択肢が外的要因で狭まり、自分で決めるという行為の負荷を低減できる」という誤った理解です。

その結果、「無難に」入った進学先で最初の後悔を抱えていました。しかし、無難に入れる学部だったということで講義や試験もゆるく、「もしかしてコスパの良い選択ができたのでは?」と自分を誤魔化していました。

本当はここで後悔して、自分を見つめ直し、学ぶべきだったのです。先送りにすることで事態が好転することなどないと。

しかし現実はそうはいきませんでした。

何が悪かったのか ~大学院進学編~

大学3年になるころ、自分の進むべき道を考えるタイミングが来ました。就職するか、大学院に進学するか。

それまでの大学生活で特に真面目に学問に向き合っていなかったこともあり、このまま惰性で進学することに意味があるのだろうか、早く社会に出て早く自立した方がいいのではないか、と考えていたのですが、ここでも先延ばし癖が出ることになります。

ろくに準備もしないままこの先の将来全てを決めてしまう「就職」という判断をしていいのだろうか と

今になって考えれば、その選択は遅かれ早かれいつかはしなければならないこと、準備は意識的に自発的に行わないともちろんできないということは明らかでしたが、当時は今の苦しい状態から逃れるためにそのような考え方をしてしまっていたのでしょう。

それに加えて、理系の仕事がしたい、今まで世にないものを作りたい、という漠然とした仕事への希望が「理系として働くなら修士号取るのは普通」というような言い訳を用意してしまっていたのでしょう。

結局、就活するのはやめて大学院への進学を決めたのでした。

何が悪かったのか ~就活突入編~

さて、逃げの選択で大学院に進学してすぐにまたも現実をつきつけられます。それは、進学して半年もすれば就活が始まるということです。

博士に進学してさらに3年以上学生を続ける勇気は流石に出ず、いよいよ選択肢がなくなり、追い込まれた私はそこで就活を始めることとしました。

とはいえ、情報も調べず、大学が主催する説明会に出席して推薦リストを受け取って満足しているという有様でした。

同期に自己PR用の動画撮影に協力して欲しいと頼まれ、「えらいなぁ、自分なんてまだ何にもやってないよ」と笑いながらスマホを構えていた私に、同期は「まぁ大丈夫じゃない?自分が受けてるところはだいぶ早いと思うし」と言いました。それを真に受けてのほほんとしていた自分は、自分が逆の立場だったらどういうかを少し考える必要があったのです。そう、もし自分が真面目に就活を進めている時に周りの誰かがまずい状況だったとしても、「それはまずいよ、早く真面目に就活した方がいいよ」などとは決して言いません。それは競争相手が増やしたいくないとか、その人のことが嫌いだとかいう話ではなく、単純に助ける義理もないしむしろ余計なお世話と思われてしまうのではと考えるからです。

どんなに仲が良くても友人の人生に口をだすことはないのです。自分の人生における選択は自分自身で責任を持って行わなければならないという至極当たり前のことを当時は意識できていませんでした。

ともかく、同期がインターンに参加したり、早期選考を受け始めたりしている中、研究を頑張っていれば報われるという謎の考えのもと、積極的に就活を進めることなく漫然と過ごしていたのでした。

終わりに

長くなってきてしまったので続きはまた今度。

この後本格的に就活が始まり、取り返しのつかない事態になっているという現実を突きつけられるのでした。